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大阪地方裁判所 昭和35年(わ)2350号 判決 1960年12月26日

被告人 黒田清美こと遠藤清臣

昭一三・八・三〇生 土工手配

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中一二〇日を右本刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は大阪市港区二条通四丁目三六番地所在の吉永飯場に住込み、土工の手配や帳付けなどをしていた者であるが、昭和三五年六月二五日午後一〇時過頃、築港方面で羽振りをきかせている澄田組の通称昇外一名の者と口論して暴行を受けた。それで同日午後一一時過頃愛人玉井停子と逢引のため外出の際には、万一その連中と出会い喧嘩になつた時の用意に、刃渡り七、八糎位のあいくちを懐中したが、右逢引を終え、前記飯場へ帰るため、翌二六日午前零時三〇分頃、同区三条通二丁目二二番地所在の港警察署三条通巡査派出所手前にさしかゝつた際、前方から酩酊した同区五条通一丁目七番地船舶荷役業山下組の沖仲仕である甲斐弘(当時二五年)外一名の見識らぬ男が来るのに出会つた。そうして、右両名から、「おい兄ちやん。一寸顔をかしてくれ。」と声をかけられ、いきなり両脇から腕を取られ、右巡査派出所の東方約一〇米の所から南方へ約一〇米の人通りのない薄暗い同所一八番地先道路上に連れ込まれたうえ、有無を云わさず、やにわに腹部を蹴られて地上に仰向けに倒され、隙をみて立上ると、またもや顔面を殴打されて仰向けに倒され、鼻血まで出すに至つた。それで、被告人は右のような理不尽な、一方的な暴行に立腹する一面、専ら自己の身体を防衛するため右侵害を排除しようとして、防衛上必要な程度を超え、とつさに、たまたま携えていた前記のあいくちを右手に持つなり、なおも前方から執ように立向つてきた右甲斐の前胸部を力まかせに一突き突刺し、因つて同人に心臓右室貫通の刺創を負わせ、同日午前一時一五分頃、同区五条通三丁目四一番地大阪港湾病院において右刺創による心臓タンポンのため死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の本件所為は被害者らから急迫不正の侵害を受け、被告人は生命及び身体の危険を感じ、これが防衛のためやむことを得ず相手を突き刺したもので、正当防衛である旨主張するが、判示の如く過剰防衛を認定したから右弁護人の主張はこれを採用しない。

(過剰防衛を認定した理由)

本件被害者外一名が被告人をむりやりに判示場所へ連行したうえ、同所で被告人に対し判示暴行を加えたことは、前掲の各証拠により認めうるところであり、右暴行が被告人に対する不正の侵害であることは論をまたない。そこでまず被害者側の攻撃が急迫な侵害といえるか否かを検討するに、被告人の前掲各供述調書によると「二人は両脇より私の両手を持つてむりやりに連れ込み、その中の一人がいきなり何も云わずに私の腹辺りを足蹴りし、そのため私は後に仰向けに倒れ、二人が顔や体を踏んだり蹴つたりしたので、私はこのままでは二人に殺されてしまうと思つて隙を見て立ちあがつたところ、一人が前からまともに私の顔面を殴り、それで再度仰向けに倒れ、その時殴られて鼻血が出ているのに気がついた。その時むかむかと何の理由もないのに二人に殴られたり踏んだり蹴つたりされたことに腹が立ち、この者達を、えい、いてしもてやれ、という気持になつたので、立ちあがる瞬間ズボンの右側ポケツトのあいくちを持つていたことを思い出し、右手でポケツトの中で鞘を払つてあいくちを持ち、前から向つて来た男の前腹辺をいきなり力まかせに突き刺した。」旨の供述記載が存する。右記載自体からみると、被告人が二度目に倒されてから、あいくちで相手を突き刺すまでに、時間的に多少ゆとりがあるかのごとく感じられるが、右は被告人の当時の心理状態を仔細に分析しながら委曲を尽し記載された結果であつて、一瞬の出来事であると認めるのを相当とするばかりでなく、被害者側としても被告人に最初の一撃を与え、何時被告人の反撃を受けるかもしれない事態にあり、被告人が最初倒されて立ちあがるや、素早くその顔面を殴つて再度仰向けに倒している点等から推断すれば、被害者側の攻撃は決して時間的にゆとりがあつたものとはいえず、また被告人があいくちで相手を突き刺した後、他の一人から襟を取られて三たび地上に倒され、その瞬間右あいくちを手離してしまつた事実からみても、右攻撃が連続的集中的になされたものであることを容易に看取し得るから、被告人が反撃に出た当時、急迫な侵害があつたものと認めるに難くはない。次に右自供調書の記載によれば、被告人は被害者側の暴行に立腹して、あいくちで相手を突き刺した旨述べているのであるが、二人の相手方から被告人一人が判示のごとき連続的集中的な暴行を受けて立腹することは人情の自然であり、この種の感情をいだいたことをもつて一概に防衛行為でないとはいえない。問題は、被告人が専ら防衛の意思で相手を突き刺したか否かの点にある。ところが、この点については、近くに巡査派出所があるにしても、被告人が相手方二人からむりやりに薄暗い場所に連れ込まれ、孤立無援一方的に上記のごとき連続的集中的な攻撃を受けた点及び被告人が相手を突き刺したとたん、他の一人から襟を取られて横に振り倒され、あいくちを手離してしまつたが、最寄りの三条通巡査派出所に駈け込み、相手の攻撃を免れようとした点等を綜合すれば、被告人の為した本件反撃行為は単なる喧嘩斗争のための反撃とは解せられず、専ら防衛意思から出たものであることを十分窺知し得るのである。最後に被告人があいくちを所持していたことは、判示のとおり澄田組の連中と出会つた場合に喧嘩になるかもしれないと予想して、その時の用意に所持していたものであつて、一面識もない本件被害者らとの喧嘩などを予想していたものではない。すなわち、右被害者との関係においては、その所持は偶然のことに属するものと云えるから、右あいくち所持一事をもつて、被告人の防衛行為を認定する支障となるものとは認め難いのである。

しかして、本件は相手が二人であり又その攻撃も相当はげしかつたとは云え、兇器を所持せず、素手で攻撃して来る者に対し、自己の身体を防衛するため、あいくちを以つて反撃し、相手の生命を奪うに至つたものであるから、過剰防衛と認定した次第である。

(法令の適用)

被告人が判示のごとくにして甲斐弘に刺創を与え因つて同人を死に致らしめた所為は、刑法第二〇五条第一項に該当するので、本件過剰防衛の程度並びにその誘因たる被害者の態度、行動、平素の行状に、被告人の性格、経歴、犯行後の事情、殊に被害者の家族において宥恕の意を示している点、その他諸般の情状をも合わせ考え、右所定刑期範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法第二一条により未決勾留日数中一二〇日を右本刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書に則り被告人にこれを負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 西尾貢一 萩原寿雄 加茂紀久男)

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